大変なことが起きた。 今朝、通勤のバスを降りたところ、ちょんちょんと僕の肩を後ろから叩く人が。振り返るとそこには見知らぬ若い女性。
その人はこう言うんだ。
「ねえ、聞いて。君カッコイイよ。」
「は?天気が?」(仏語だと「天気が良い"Le temps est beau."」と「カッコイイ "T’es beau."」は音が似ている。)
「Non non, 君カッコイイ ♥ 言いたかったのはそんだけ。Bonne journée !(じゃあね!)」と言ってはにかむと早々に去っていく。
「…。」
去ったと言ってもお互い歩く方向は同じだった。バス停からオフィス街へ続く道は一本しかない。僕は道路の右側を、彼女は反対側車線の歩道を同じ方向、速度で並行に歩く。
こいつは正気か、とチラチラ見てしまう。そりゃそうだ、僕はもうすぐ 38 歳になるおっさんなのだ。
一方、何事もなかったかのように前を向いてスタスタと足を進める彼女。なぜか歩きながらサラダを食べている。
あ、
思い出した。バスの中、僕の右となりで一生懸命ジャーサラダを頬張っていた女だ。
なんだか高校生の頃に戻ったようなワクワクする気分のなか数分並んで歩いた。彼女はスッと左折を決めて建物の中に消えていった。この辺では比較的大きな規模の小学校だ。
先生か。
積極的な人だ。
こういう人がチャンスをものにするんだろうな。人生のいろいろな場面で。
会社に着いたところで、さっそく同僚に自慢してやった。意外と反応が薄かったのが残念だが、まぁいいや。 これから彼女にも自慢しよう。
ということで今週はこれ書こうかな。katakatakatakatakatakta….
恋愛でも中途採用が盛んな国 - カナダ カナダに来て思った。離婚率が高い。2008 年が最後の公式な統計になるが、それによると 40%超のカップルが離婚している。 もはや半分が離婚していると言っても過言ではない。ちなみに僕もその中の一人だ。
だがしかしあれだよ、離婚率は確かに高いのだが、再婚率(厳密には再カップル率か)もまた高い。 僕の知り合いの中で過去に離婚を経験した人は、現在もれなく彼女がいる。 離婚率が異様に高いのは残念な事実だが、その後も比較的容易にパートナーが見つかるのは大きな救いだ。
ここカナダ、労働市場が自由で流動的なように恋愛市場もまた自由で実に流動的だ。ここでいう「自由で流動的」とは個人にとって「別れ」が多く、その反面「出会い」も多いってことだ。おそらく今朝僕が体験したような状況で成立してしまうカップルも山ほどいるのだろう。実に面白い国だ。
しかしながら、この事実を聞いて否定的な印象を受ける人がいるのも理解できる。そりゃそうだ、別れが多いってことは、二人の関係を終わらせることに対して精神的な障壁が低いっていう証明なのだ。
僕個人としては大歓迎だ。 悪いニュース(別れ)も良いニュース(出会い)もないような閉鎖的な状態よりよっぽど健全だと思う。
そう考えると、まさにカナダの恋愛市場は自由で流動的な労働市場を反映しているようだ。
日本では、ある一定の年齢に達すると結婚か独身かの 100 か 0 かみたいな極端な選択肢しか残ってないような印象があるんだが、こっちはその間に「彼女/彼氏がいる」という 50 がある。少なくともこれは北米ではずいぶん当たり前に見られる光景のようだ。
僕が在日米陸軍(座間/神奈川)に勤めていた当時(2009 年)の話だ。
当基地の副司令官であった某大佐(写真中央)は、僕がそこに勤めている間に副司令官としての任期が満了することとなった。これをもってめでたく定年退職である。
本来ならここで本国アメリカに帰ってノンビリと第二の人生を過ごすところであろうが、彼は日本に残ることを決意。理由は日本で彼女ができたからからだった。
彼はゆうに 50 歳は越えていたのだろうが、彼女ができたということで公式な場で僕らに報告し、大変幸せそうな笑顔をみせてくれた。純粋に嬉しくなった僕はビールを持って直接おめでとうを言いに行ったものだ。 アメリカはいろいろと問題の多い国だが、何歳になってもこの自由で飾り気のない生き方が歓迎される文化は素晴らしいと思う。
その一年後、自分がカナダに渡り住んでみて実際どうかと箱を開けてみたらやっぱり一緒だった。実にオープンで自由だ。
事実婚 - パートナーを尊重しなければ続かない
こちらでは 40、50 代のカップルであっても、彼女と彼氏という関係のままでいられる事実婚だったりすることは決して珍しくない。 それどころか、若くしてもそのまま籍を入れずに計画的に子供を作り、最初から事実婚という生き方を選択するカップルも少なくない。国が事実婚のカップルに対しても婚姻と同様の権利を認めているため、籍を入れる入れないかはもはや単なる気持ちの問題でしかないからだ。
これは合理的。
「結婚したほうが子供のためだからしましょうよー。」なんて言う主体性のかけらもない理由で籍に入れようとする人の歯止めになるし。 たしかに子供は大事だろうが、まずは当事者である自分たちが幸せになれるかに焦点を当てようともしないで「家族がー」とか「子供がー」とか「周りがー」とか言う人と一緒になると絶対悪いことが起こる。
おっと話がそれちゃったな。
当たり前の話だが、カップルなんてのはそもそも互いに好きだっていう理由があるから一緒にいるのだ。もう好きでなくなってしまった、また最悪嫌いになってしまったのなら、とっとと別れるのがお互いのためだ。 そこで籍が入っている状態だと「別れ」のステップに手続き上の重科を持ち込むことになる。一方、籍を入れない事実婚の状態なら比較的容易に関係を清算できる。
ただ、ここで勘違いしてはいけないのは事実婚は簡単にパートナーを取っ替え引っ換えするための制度ではないのだ。
結婚という制度に縛られないことにより、「常に相手を尊重し続けなければ関係が破綻しかねますよ。」という軽いプレッシャーを老若問わず意識させることにそのメリットがあるのだと思う。
籍を入れたからという事実に甘んじて相手を平気で不幸にする人間と一緒にいる必要はないのだ。 事実婚は健全なカップリングを促進する良い制度だと思う。
最後に
もう日本も面倒臭い障害を全部取っ払って正式に事実婚を認めてしまえばいい。もっと市場を自由で流動的にしちゃえばいいんだ。 国全体でいっぱい別れさせて、その分いっぱい出合わせればいい。
いいじゃないか。別れがたくさんあるが出会いもたくさんある国。これこそ美しい国だよ。
別れと出会いをよりカジュアルなものにしてしまえば「パートナーを大切にしないと去ってしまう」という、まるでカナダにいるかのような軽い緊張状態を保てるため、二人の関係はずいぶんと良いものになると思う。それが苦痛に感じるのなら、そもそもその人と一緒にいるべきではないのだ。
カナダ人は本当にパートナーを大切にするから、日本育ちの僕は彼らから学ぶことが多い。 彼らは特段の理由なく花を買って帰ったり、デートをしたり、子供を預けて旅行に出かけたり、子供を自分たちのベッドで寝させなかったり、友人の集まりにパートナーを連れて回るなど、どこにおいてもカップル単位で行動する。 パートナーは大切にしないとどっかに行っちゃうもの、という事実を潜在的に知ってるのだ。
一方、日本では夫婦関係が完全に破綻した状態でも婚姻関係を続ける夫婦がどれだけ多いことか。「あの人とはもう終わってるけど、離婚とかできないし…。」なんて話を身近に聞いたことがある人もいるだろう。
これは本当にもったいない。潜在的な出会いの需要は絶対カナダと同じだけあるはずなのに。
はぁ。キーボード叩き疲れた。
読んでくれてありがとう。
したっけ。