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英語を学ぶ最大の理由

2015年 5月30日 1:38 PM

社会 英語 海外就職

なんだか久しぶりに書く。最近ちょっと忙しくてさ。先週また新しい学校始めちゃったんだ。去年の12月にwebデザインの学校を卒業したばかりなんだが…。
というのも、最近仕事でコード書く機会とその重要性がちょいと大きくなってきて…馴染みの薄い言語でもヨダレ垂らしながらキーボード叩いたり、同僚のプログラマーに助けを求めたりなんかしつつまあそれなりに楽しくやって来たんだけど、もう限界だよね。

スキルが実務に追いついてない。

このままだといつか破綻する。下手したら我が社の生命線であるウェブサイトまで破綻する。
もうこの現状を変えたいなと思って。

現状を変えるのに一番簡単な方法は自分を変えることだよ。だって他人や環境を変えるのって大変じゃん。

というわけで自分を変えようと思う。勉強するという建設的な方向で。

その…まぁ学校って言ってもプログラミングに特化した、インターネット使って受講できるオンラインレッスンなんだ。だからフルタイムで仕事続けながら自分のペースで勉強ができる。

始めたのはTreehouseという名のアメリカ発のオンライン教育。この手のサービスでは珍しくTVでCMも流してるくらいだから景気が良いのかもしれない。
ただ英語のみでレッスンが展開されている理由から、日本ではあまり知名度が高くないだろう。知ってる人は知ってるというところか。
恐ろしく良く出来たサービスなのだが…。

そこでさ、2, 3日受講してみて切実に思った。

 

英語がしゃべれないと本当に機会損失だと思う。

 

多分こんなに安くて優秀なサービスを日本語だけの環境から探すのは無理だ。無いし。
日本語だけで構成された世界ってのは思っていたより狭い。僕も一昔前までは日本語でgoogle使えばなんでも探せると思っていた。

ここでは学校を例に挙げたが、教育の機会なんかに限らず似たような事態が思っているより遥かに多く起きている。使用できる言語が1つに限られていると、魅力的な選択肢が自分のすぐ側を通り過ぎたとしてもそれに気付くことなく一生過ごすことになる。

僕も過去にはそうだったんだ。

外国語を学ぶ意義 - 選択肢を増やす

カナダに来て5年。外国語を話せることのメリットというか意味というのは、皆の前で外人さんとコミュニケーションをとってみせて悦に浸るためのものなんかじゃないんだと、今更ながら切実に思う。(少なくともそんな目的で自分の子供を英会話教室に通わせないでくれよ。)

選択肢を増やし、その結果最良の物をピックアップできる機会を得る事こそが最大のメリットだ。

「違うよ異文化コミニュケーションだよ。それが意義だよ。」なんてロマンチックな事言う人もいるだろうが、コミニュケーションだってそれ自体、単に選択肢を増やすための手段の一つだ。

外国語の習得は選択肢を増やす - 少なくとも僕にとって過去にそうであったし、これからもそうだ。その外国語が英語なら特にその傾向は顕著だろう。何倍にも増える。

それでも、自分にはもう選択肢なんて要らないよという人の気持ちもわかる。特殊な環境下でもない限り、僕らくらいの世代の大人にとって英語の習得など人生に大した変化をもたらさないのもまた事実。

 

子供の頃から英語を学ばせるのはアリか

じゃあせめて将来のある我が子だけでも、なんて思う気持ちもわかる。今では日本でも小学校で英語を教えてるらしいね。僕の頃はもちろんそんなのなかったよ。

その延長で ”英語教育の低学年化は是か非か?” なんて論争があるのも知った。まずこんなのが議論として成り立つのが日本らしくてソソる。それだけ双方戦えるだけの比率ってことなのだろう。ちょっと凄いな。

なかでも反対する最大の理由が、「自分の国の言葉もキッチリ話せないのに英語なんかやらせると日本語がダメになる。」だった。想像力が豊か過ぎる。
酷いこと言うようだが、たぶんその子はもともと英語勉強しなくたって日本語ダメだ。

外国語の勉強は母国語の能力を後から押し上げるよ。間違いなく。

僕の例で言うと、普段考えていることやモヤモヤっとした概念もサッと言い回したり文章化できるようになった。これにより周りの人や環境を自分好みに操作し易くなった。

たとえ日本語を使っている時でも、日本語独特の(僕は悪習だと思っているのだが)主語を欠いた表現や個体数を曖昧にした表現を自然と避けるようになった。(例えば「道路には車が走っている。」という文。これのみでは車が1台なのか多数なのか客観的に判別できない。)

この傾向は文法が比較的厳格なフランス語を使うようになってから習慣付くようになって、その後英語、最後に日本語に転用できるようになった。

要は一旦日本語を母国語だと脳が認識してしまえば、あとはどんな言語をいくらやっても母国語の運用に悪い影響は及ばさないのだ。それぐらい思考の中にある母国語の存在というのは強烈であり、同時に学習者にとって厄介だ。
まだそれでも心配だって言うなら、自分の子供が「ごっこ遊び」なんかでつぶやく様子をじっと観察でもすればよい。その子の独り言が日本語ならそれが母国語で設定も概ね完了している。

この母国語の設定は普通の生活してれば多分かなり小さい頃に実施される。その後は日本語に触れる機会を子供から奪わない限り、なんぼ英語やっても全く問題ない。

総じて言うと、小学校くらいから英語を学ばせることで日本語のことを心配するなんて、昨日買った宝くじが当たって人生狂っちゃうことを心配するほど馬鹿げてる。それよりも将来自分の子供が早い時期に英語と関わらずに一生を過ごす、という決断をしないよう祈った方が良い。
一方、すでに子供を英会話教室等に通わせている人は、日本語の発達を心配するより焦点である英語自体を無駄にしないかどうかに気をもんだほうが良い。どう考えてもそっちの方が100倍くらい確率高いのだから。

もし、まぁ1000歩くらい譲ってだよ、英語に傾注しすぎて過去に使えていた日本語の表現を失ったような傾向が見られたって別にいい。
この場合、日本語で蓄積されていた単語や言い回しが単に英語にすり替えられただけの話。概念自体はきちんと頭の引き出しに入ったままで、それを呼び出す為のタグが英語になってしまっただけだ。なんら心配することないと思う。意識すればすぐに引き出せるようになるのだし。

最後に

まぁそれでも、どんなに親が情熱とお金を注いでも、きっとまともに話せるようにはならない。せいぜい親戚の集まりでじーさんばーさんを驚かせるくらいだ。
過去にも多くの親御さん達は自分の子をせっせと英会話教室なんかに通わせてきたのだ。英会話はピアノや書道と同じくもはや王道と言ってもいいほどの歴史を持つ習い事の一つだ。それでも未だ日本全体でこの体たらく。

無理もない、子供の世界では友達も先生も好きなアニメも当の親ですら日本語を話すのだ。彼らにとっては英語の伸びなんかより、友達とのコミュニケーションやジバニャンが話す内容の方が一億倍くらい重要だ。

仮にもし、過去に英会話教室に通ってきた子供達がまともに話せるようになってたら、とっくの昔に日本の人口は半分になってる。海外で働けるもん。

これこそ選択肢が増えた恩恵だ。

 

読んでくれてありがとう。まぁ学校3日坊主にならないよう頑張ります。

したっけ。


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